私のキャリアアップ体験談
「建築家になるのが、小さいころからの夢 ― 」が現実化し、NYで「建築家 鈴木 健治」として活動し既に5年。インターン時代からdi Domenico + Partners, LLP でインターンとして経験をつみ、97年、同社に就職。その間、ブルックリンの Atlantic Terminal - Entry Pavilionなどをはじめ数多くのプロジェクトを手がける。 2000年にはYoung Architects Forum Design Contest, Building Community: Habitat for Humanityで、First Prize を受賞した。人がうらやむ成功を収めながらも、飾らず、おごらない。常に正直であり、芯が強い。これがキャリアアップの真髄かもしれない。
Atlantic Terminal-Entry Pavilion
Building Community: Habitat
-建築家になる
高校2年の時に「建築家になろう」と強く決意し、90年に渡米。翌年91年にNew York Institute of Technologyに入学 。その後、コロンビア大学院で、建築セオリーを学ぶ。第三者からは何もかもが順調に見えるが、その裏側で鈴木氏が費やした時間と労力は計り知れない。アメリカの大学で建築科を卒業できるのは「一握りしかいない」といわれる程の難関を潜り抜けてきたのだ。彼は、「課題を終えるために徹夜するのは、あたりまえのことでした。必死でしたからね」と微笑みながら言う。そんな彼の並々ならぬ努力と繊細なデザイン力が大学教授の目にとまり、今の会社に引き抜かれることになる。
-今、会社の責任者として・・・
インターン時代は簡単な図面を書いたり、誰かほかの人が描いた図面を元に模型を作ったり、とまさに「いろんな事をして走り回った」修行の時期だったという。そこから、正社員となり、5年という短期間で「Associate」と呼ばれる肩書きにまで上りつめた。チーフデザイナーとして、デザインに関して全ての権限を持ち、また、チームでプロジェクトを遂行する際にも、まとめ役としての責任を負う。立場が上になるにつれ、「政治的な絡みがあって難しい事もあります。チームのみんな全てが、同じ様な、いいデザインをしたいかといえば、そうではないし、どうチームワークを維持していけばいいのか、と悩むときはあります。前のように、ただ仕事をこなせばいいというのでは、済まなくなってきました」と語る。「しかし、東奔西走しながらもどうにか1つのプロジェクトをまとめ上げたときに、こう振り返ってみると、やれるだけの事はやったんだな、という達成感が生まれる」という。常に前向きな姿勢は崩さない。
-建築とは自分にとって仕事であり、趣味でもある
週末は犬のRudyと散歩をする。それ以外は、家でも建築デザインを考えたり、「プラモデル作りの延長のように、楽しく」模型を作ったりしているという。鈴木氏は、「建築家は誰でもそうだと思うのですが、いつでも頭の片隅ではどうデザインするか、ということを考えているものだと思います。会社にいるから考える、というような切り替えはできないですね」と語る。また、自分自身に対する投資も欠かさない。常に建築関係の本は購入するようにし、建築家、安藤忠雄氏も語るように、「デッサンをしに旅行はすべきだと思うし、したいですね」と語る。「好きだから」こそなのか、建築に関すること全てにおいて熱心だ。「建築って言うのはそのことだけを勉強をすれば良いということではないですね。数学、アート、ましてや哲学なんかも関わってきます。勉強することは尽きないですね」と語るように、コンペなどにも積極的に参加して、学んだ事を活かし、自分自身の実力を試す事を怠らない、こういった積極的な態度は見習いたいものだ。
鈴木氏は将来も、今現在の会社に留まるつもりだという。「この会社は徐々に大きくなっていくのが体感できるし、自分がやったことが成果として目に見えるのが励みになります。ですから、この先もここに留まって、会社が大きくなるのを見届けていきたいです」―そう力強く語ってくれた。
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